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幸せってなに? ② [気楽に読んでね(^-^)]

彼女は、働いたことがあるのでしょうか?
彼女みたいにバリバリ仕事が出来る人は絶対に働くべきです。
経済力のある無しに関わらず、自分自身のために働くべきです。


記憶力、記銘力(記憶を保持している力)、思考力、判断力、想像力、組織力、どれをとってもうらやましいほど彼女に備わっている力です。
私みたいな出来損ないを3人雇うなら、彼女一人で事足りるのです。企業に取ったらなんというメリットでしょう。


彼女には秘書か、キュレーターのような仕事が向いていると思います。

少なくともお子さんが小学校へ入り母親の役割が軽減した時点で、彼女には何か出来なかったのでしょうか?


都会の企業は、そういう年齢の人々を雇ってくれるほど甘くは無いのでしょうか?

とにかく彼女が自分の能力を如何なく発揮して、そしてそれが社会に役に立つということが納得できたなら、きっと彼女はもっと幸せだったような気がします。


翻って私の場合は、薬剤師免許は持ってはいるけれど、そっかしいというレベルをとおに越えている危ない薬剤師!
だから、うちが調剤薬局なんかじゃなくて本当に良かった!
根っからの「雲切目薬の売り子」を一生貫きたいと思っています。


もしもそれこそ私が調剤を一日に何十枚もやらなければいけないような立場に立たされたら、即刻クビになるか、辞表を書いていたことでしょう。


つまり、その人がその人に合う仕事をして一生過ごすことが出来たなら、その人の人生は幸せだっただろうと思うのです。


でも、自分に合うことを仕事に出来ていない人は一体どうすればいいのでしょう?


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幸せってなに?   ① [気楽に読んでね(^-^)]

人間の幸せってなんだろう?みなさんもそう思うこと何度もあると思います。


私の知り合いにものすごく頭のいい人が居ます。彼女はとにかく、頭の回転がよくて言葉が達者、その上いろいろなことを良く覚えているのです。


私には彼女の頭の良さがうらやましくてたまりません。だって彼女の才能があったら、薬の名前も成分名も瞬時に覚えられて、その上副作用飲み合わせ知識だって、患者さんに聞かれたとたんにカッコよく答えることが出来るではないですか!!!


その上効率いいことこの上ない!たぶん私がやる3分の1の時間で、彼女ならなんでもこなしてしまうと思います。


ここだけは私と同じように彼女も気まぐれ見え、何があったという訳ではないけど何十年も音沙汰の無い時期が続き、またひょんなことから電話が来る・・というおつきあいです。


彼女、とにかく頭がいいですから、医者にかかれば病気についての知識が半端無く、医者と同等に議論を戦わせます。


その結果どうなるか?もうお分かりですね。お医者さんに嫌われちゃうのです。もちろん彼女の方も負けては居ません。「あんなやぶ医者、こっちから願い下げだわ!」ってことになります。


彼女の話をしっかり聞くにはメモが必要です。聞いた事のない法律用語だとか専門用語が次々と飛び交うのですから。

メモじゃ無理ですね。レコーダーが必要です。


そうやって取ったメモも、結局は次の日には一度くらい眺められるかもしれないけど、その次の日になったら私の記憶のかなたへ消えてしまうのだから、まったく無駄みたいなもんです。
彼女はもっと人を選んで電話をする必要があると思います。(^^;;


彼女はいつもため息混じり話をします。あんまり幸せな風ではありません。
話してることは浮世離れした凄いことなのに、なぜか庶民の私のほうがずっと幸せに思えます。


彼女の生活だって、決して不幸ではないはずです。優しそうなご主人との間にお子さんも居て、お付き合いが大変というくらいですから、彼女自身も裕福な暮らしをしているのでしょう。


でも彼女の口からご家族の話はほとんど出たことはありません。

彼女を見ていて、頭が良くても幸せとは限らないんだなあと思います。


あっ、でももし幸せだったならごめんなさい。
それでは、言い直しましょう。どうしたら彼女はもっと幸せになれたのでしょうか?

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マインドフルネス [どうしても知って欲しい大切なこと]

マインドフルネス!!今流行っているようですね。
 

一口にマインドフルネスと言っても定義があいまいで、ズバリ!これ!というのが良くわかりませんでし た。

やっとこちらに、納得のいくマインドフルネスの解説がありましたのでお読みください。


やはりマインド(心)がフル(満たされた)状態のことを示すようです。

とくに『「今の行動にものすごく五感を注ぐことを「マインドフルな状態」』と言うそうです。


アメリカの超有名企業、たとえばGoogle Facebook Yahoo、や政府機関などが積極的に取り入れて、効果をあげているようです。

そして最後に「坐禅(座禅)にそっくりだが、足を組む必要が無い」とありました。


*背筋を伸ばしてイスに座る。足を肩幅に開き、肩の力を抜く。
*視線を斜め前に落とす、または目を閉じる。
*自然に呼吸し、注意を呼吸に向ける。(息を吸ったときに、お腹の皮が上がって、皮膚が少し引っ張られる感覚を感じる。吐いたときにそれが緩む感覚を感じる)
*注意がそれたことに気づいたら、何に注意がそれたのかをそっと心にメモして、注意をまた呼吸に戻す
 最初のうちは、これを5~10分ほど繰り返しましょう。
何だか座禅とそっくりですね。
そうです、禅と一緒です。 でも正座する必要はなく、楽な姿勢で意識をコントロールする訓練と理解していただくと良いかと思います。 (本文のまま)

わが意を得たり!という感じでした。
坐禅(座禅)の場合は、数息観(すそくかん)という呼吸法をします。ゆっくりと数を数えながら一息一息呼吸します。
「ひと~つ」から「とお~」まで数えたら、また「ひと~つ」に戻ります。
集中していないと、数がわからなくなります。集中力の足りない私の場合は、往々にしてすぐに数がわからなくなって、何回も「ひとつ」に戻ります。
それでも、なんとかなります。ある一定時間坐り続けていると、マインド(心)がフル(満たされる)になるのです。幸せな気分になれるのです。
是非皆様にも、坐禅(座禅)を試してみてください。(^-^)
 

"「九子のダメ母の証(あか し)日記」が更新されています。(^-^)

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さまざまな坐禅(座禅)の本のコメントを見て、変だなあと思ったこと [どうしても知って欲しい大切なこと]


坐禅(座禅)の本、いろいろな和尚さまが書いていらっしゃいます。
そして、そういう本に寄せられている感想を読んでみると「あれっ?」と思うことが多いのです。


坐禅(座禅)の本は、皆に坐禅(座禅)を伝えることが一番の目的のはずです。
坐禅(座禅)をして欲しい、禅寺に行って欲しいという願いをこめて書かれていると思います。
でも残念なことに、それが伝わっていない気がします。


「この本を読んで心が穏やかになりました。」
「これを読んでいると、気持ちが落ち着きます。」
「こういう風に考えればいいのかとわかった。」


ほとんどのコメントがこういうものです。

つまり皆さん本を読むだけで完了しまっていて、自分で坐禅(座禅)をしてみる、禅寺に行くという大事なところが抜け落ちている。

それほど禅寺は敷居が高いのでしょう。


禅寺はどうしてこんなに嫌われてしまっているのでしょう?

たぶんそれは、「坐禅(座禅)は難行苦行」という思い込みのせいだと思います。


辛い修行など誰だってやりたくないから、避けて通ろうとする。
できたら禅寺の老師の書いた本を読むだけで、わかったような気になろうとする。


もしも私の本が世の中に出たら、まずは「坐禅(座禅)は難行苦行」という皆様の思い込みが少しは変わって行くと思います。

だって、こんなに意気地なしで、根性無しで、怠け者で、集中力が無くて、頑張れない人間にも坐禅(座禅)が出来たのですよ!あなたに出来ないはずが無いじゃないですか!!


いつも言ってるように、坐禅(座禅)そのものは呼吸と姿勢が正しくて、一定時間集中して坐っていれば、誰にでも出来るものなのです。


難行苦行は、それが本当に必要な人、要するに世の中を引っ張っていくリーダーだけが、より強い力を持つためだけに、自分の能力を最大限に引き出すためにするものだと思います。


だからあなたが私のように、リーダーなんて望まないからとりあえず毎日幸せに生きたいよという人ならば、禅寺に通っても苦しい思いをする心配はまったくありません。


でもとりあえず、坐禅(座禅)の仕方は禅寺で覚えて来て頂かなければなりません。

皆さんが気楽に禅寺に行くようになってくれる日が、一日も早く訪れることを願っています!

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中国人は・・・ [それって劣等感だよね!]

前の記事で「ネットの言うことなんか信じないで、自分の嗅覚で嗅ぎ取った情報を信用して下さい。」なんて調子のいいこと書いたのに、私にはまったくそれが出来ていなかったというお話です。


M氏の恩師の先生は沖縄に住んでいらして、M氏が人なつっこく寄っていくものだから、卒業後40年も経った今でもお付き合いがあります。


ある時先生の奥様が電話を下さって、ついついいろいろな話になった結果、先生の息子さんの奥様が中国の方だと伺いました。

「えっ?中国人?怖い人ではないですか?」と私は思わず聞いてしまったのです。


先生の奥さまは絶句なさいました。「どうしてそんなことおっしゃるんですか?」

言われてみればその通りです。返す言葉がありません。

私はしどろもどろで「中国の人はみんなキツイし、強い人が多そうだから・・。」と答えました。


息子さんのお嫁さんはとっても優しい人で、奥さまと別れる時に泣き出しちゃうような可愛い人なのだそうです。


私の中の中国に対する意識。それが生み出した中国と言う国に対する偏見。それは更に、それを助長するようなネットの情報ばかりに注目し、さらなる偏見を生み出していたのかもしれません。


ネットやテレビの知識以外に、実際に自分が経験したささやかな対中国体験と言えばネットでの購入でした。
それは確かにあまり気持ちのいいものではありませんでした。
一言で言えば見てくれ=商品の写真と中身がまったく違うのです。
日焼け止め帽子を購入したのですが、こうなると紫外線遮断率100%というのも怪しくなってきます。


そういうことが一度でもあると信用が無くなります。次にはこの店では絶対に買いたくないと思います。そしてお客さんが離れていきます。


私たち日本人はそうなることが一番怖いから、常に「良いもの」を同じ品質で売り続けようと思います。努力し続けます。

ところがかの国ではお金が全てです。儲かればいい。騙される方が悪い。


だけれども、それは私の人生でたった数回のことです。全部の中国製品を買ったわけではありません。
ましてや、中国人と話をしたことなどありません。(台湾の人ならありますが)


私の中の偏見が、「中国人はいい人だったよ。」という話を疑り深く聞き、「中国人はひどいやつらだ。」という話をそれみたことか!と思っているだけに過ぎません。


華々しい成長をもはや望めない日本が、勢いを持って上り詰めようとしている中国に抱いているジェラシーなのかもしれません。


中国には13億人もの人々が居ます。それを十羽一絡げにして「中国人は・・だ!」と言うことは決してしてはいけないことなのだと思い知らされました。

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日本人捕虜が作ったナヴォイ劇場 [落ちこぼれ仏教徒にもなんとなくわかる「仏教の教え]

  

このあいだテレビでやってましたね。ウズベキスタンで日本人捕虜が作ったナヴォイ劇場の話。


終戦で満州を引き上げ、いよいよ日本に帰れると勇んで列車に乗った四百数十人の人々が連れてこられたのは旧ソ連領のウズベキスタンでした。そこでは2年間で劇場を作ると言う過酷な任務が待っていました。


彼らは皆技術者ではありましたが、建設は素人です。
それでもリーダーの「生きて日本に帰り、また桜を見よう。」の一言で、劣悪な環境の中、まじめに律儀に働きました。


最初は彼らにひどい仕打ちをしていた地元の人々も次第に彼らの真面目な仕事ぶりに感心して心を開くようになり、捕虜たちの中心になっていたリーダーが事故で亡くなってしまった時には、率先して花を手向けてくれるまでになりました。


予定通り2年間でナヴォ劇場は立派に出来上がりました。その立派さは、旧ソ連時代の4大劇場と称えられるほどでした。

ナヴォイ劇場は1966年のタシケント地震を耐え抜き、多くの人々の避難場所となりました。


ナヴォイ劇場建設時に不幸にも亡くなった捕虜たちの墓には、桜が植えられています。
彼らが夢にまで見た日本の桜。せめてこの地で桜を見せてあげようとの人々の温情です。


いいお話でしたね。(^-^)
でもこういう話、この頃多過ぎませんか?
日本人は昔話をしないと自分たちを誇れないほど今はダメになっているのかと却って残念に思いますけど・・。


とにかくこの国は旧ソ連の国でした。国民は政府の情報を鵜呑みにします。(これはどこの国でも同じこと。)
だから捕虜たちは最初はいじめられました。


でも次第に、住民の気持ちは変わっていきます。
それは住民たちが毎日日本の捕虜たちの働きぶりを見ていたから。


充分な食べ物も無い過酷な環境で、来る日も来る日も文句を言わず、手も抜かず、しっかりと頑丈な建物を作り続ける。


彼らもそうですが、私たちも自分の目で見たこと、自分の耳で聞いたこと、自分が経験したことをまず信用すると思いませんか?

「こういう風に聞いていたけれど、実際に会ったらこういう人だった。」という経験は、その人に対するあなたの評価を変えます。


自分の目を信じてください。自分の耳を信じてください。そして自分の五感で体験したことを真っ先に信用して下さい!


この自由で民主的と言われる日本の中でも、政治の中には嘘がまかり通っています。
政府の言うことや、誰かが言うことではなく、自分の嗅覚で嗅ぎ取った情報を信用して下さい。


ましてやネットの情報などいわずもがなです。

大きな声になってる情報があったら、その裏側を読み取る努力をしてください。


「みんなが言ってること」は、決して「正しいこと」ではありません。
「正しいこと」である可能性もありますが、そうでない可能性も大きいことに注意して下さい。


大本山活禅寺で師匠に真っ先に習ったことは「信は万宝の母」という言葉でした。
仏教の基本はまず信じることであるということです。
信じなければ、何も始まらないぞ!とも言われました。


確かにそうでしょう。神も仏も、信じるところから始まるものであって、それを信じなければ神も仏も居ないのと同じことなのです。


確かに「信じること」は一番大切ですが、「何を信じるか?」もまたものすごく重要です。


「正しいこと」を信じよう。でもその「正しいこと」が何かわからない。


とりあえず「私を信じよう!」だと思うんです。
なぜならば、私は信ずるに足る存在だから。

なぜそう言い切れるのか?

それを確かめるのが坐禅(座禅)なんだと思います。(^-^)





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ただそれだけを見つめること [どうしても知って欲しい大切なこと]

前回も書きましたが、競馬馬みたいにいつも自分の進む道意外が見えないように目隠しされてたらいいのだけれど、周りってついつい見えてしまいますよね。自分でも「あっ、今誰かと比べてるから悔しいのだな!」と思うことよくありますもん。


坐禅(座禅)をする時もよく「只管打坐」と言われますが、これは「坐禅(座禅)の呼吸と一体になれ。」ということだそうです。坐禅(座禅)の呼吸それだけに意識を集中して、それ以外を見ない、考えないということだと思います。


「それ以外を見ない」方は、普通のときよりも楽なはず。だって坐禅(座禅)では「半眼」と言われる、

目を開くのでもなく閉じるのでもない状態を続けていなければならないからです。


残念ながらこの「半眼」を続けることさえも、私にとってはとても難しい。
考え事をする癖のある私は、ついつい余計なことを考えてしまって、「あっ、いけない!」と気づいた時には、もう必ず、絶対、100%目をつむっています。

本当にそれはもう確かなことです。余計なことを考えている時は、必ず目を閉じている時なのです。
「目を閉じないこと」これはとても大切なことです。


「数息観」という呼吸の仕方があります。文字通り息を数えるのです。
「ひと~つ」と言う間に大きなゆったりした一呼吸をする。「ふた~つ」と言う間にまた大きく呼吸をす

る。それを「と~お」まで繰り返す。そしてまた「ひと~つ」に戻る。


私は集中力が無いので、「みっつ」くらいで妄想の世界に入ってしまうため、気づいた時にはいくつ数えたのか忘れていて、また「ひとつ」からの繰り返し。
これではいかん! わかっているのですけれどもね、なかなか治りません。
だって物心付いた頃からの癖ですから、そうやすやすと治る訳が無いのです


「半眼」にしろ、「数息観」にしろ、出来た方がいいに決まってます。
それが簡単に出来る人は、人より優れた素質を持つ人でしょうから、リーダーになるための厳しい修行の坐禅(座禅)をされたらいいと思います。


でも私は言っておきたい!
30年経っても、「半眼」も「数息観」もしっかり出来ないこんな怠け者の私でも、坐禅(座禅)で幸せ

になることが出来ました。


要所要所で正しい呼吸が出来さえすれば、そんないい加減な坐禅(座禅)でも、幸せになることは出来るのです。(^-^)

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右足と左足 [気楽に読んでね(^-^)]

私の右足と左足。こんなに気になった年はありませんでした。


年をとるのは嫌なものですね。あちこち本当に思いがけないことが起こります。

おっちょこちょいの私は、足を踏み抜いて30センチほどの高さのテラスから地面に落ちてしまったのです。それが4月の半ば。


かなり広い部分に内出血したのですが、いつもどおり色がすぐに消える(紫や黄色になりにくい)漢方薬を飲んでやり過ごしました。

今回はきれいになるのにいつもの何倍の1ヶ月はかかったと思います。


きれいになったと思ったら、その同じところが、こんどは赤くなって広がってくるのに気づきました。
赤くなるだけならまだしも、腫れて浮腫んで来るのです。
しまいには左脚(膝から下)と左足、つまり踝(くるぶしから下)だけが、明らかに右脚右足よりも太く厚ぼったくなってしまいました。

そしてそのうち、赤みはだんだん腐ったような紫色へと変わって行くではありませんか!


これでは長女の結婚式で草履も履けません。


さすがにあわてて皮膚科、循環器科を受信し、「深部静脈血栓症のうたがい」という診断がつきました。

これ自体は結構大変な病気なのですが、そこまで深刻に考えないようにとも言われました。

血栓を溶かす薬も処方されませんでした。


治療には弾力ストッキングを終日はいていることくらいしかなく、一体いつになったら治るのでしょう?
膠原病の疑いまであると脅かされて、まあそれもあと数ヵ月後の検査待ちです。


 
私は長い間自分の足が大嫌いでした。
母はペディキュアの似合う22.5センチのかわいらしい華奢な足をしていたので、幅広で甲高で大足の私は、いつも母がうらやましかったのです。


ところが今回、別物みたいになってしまった右足と左足を比べて、生まれて初めて、健康な私の右足はなんと美しいのだろうと思うことが出来たのです。


病気になって初めて健康の有り難味を知るとよく言いますが、それもさることながら、人間はついつい比較してしまうものなのだなあと思いました。


自分の足を母の足と比較して劣等感を持っていた若き日の私。
いつもはわからなかったのに、不健康になってしまった左足と比べて、健康な右足はなんてきれいなんだろうと思えた私。


幸いなことに発症から2ヶ月ほどすると、症状は自然に改善していきました。
まず浮腫みが取れて、心配していた草履はふだん履いているのがきちんと履けました。


左右の足を比べても、太さや厚ぼったさの違いはありません。

ただ、比べてみれば、まだまだ左足の色はより褐色です。
左右比べないで左足だけを見ていれば、そんなものかと思うだけなのに。


すべての不幸の原因は比べることから来るのだなあ。
比べないでそれだけをじっと見ていれば、少なくとも優越感も劣等感も感じないですんでいたのに・・。

 

"「九子のダメ母の証(あかし)日記」が更新されています。(^-^)

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二つの坐禅(座禅) [どうしても知って欲しい大切なこと]

二つの坐禅(座禅)と言うと、知識のある人は曹洞宗の「只管打坐(しかんたざ)」臨済宗の「公案禅」の違いを思い浮かべるかもしれません。


「只管打坐(しかんたざ)」は、考えてはいけません。ただただ坐禅(座禅)に集中し、坐禅(座禅)になりきる。そのために、呼吸を数える。呼吸に集中することが重要になります。


「公案禅」の方は、「公案」というものをひたすら追求する・・のだと思います。
大本山活禅寺の坐禅(座禅)は曹洞宗の流れを汲むものですから、「公案禅」はよくわかりません。


確かにその二つの大きな違いがあることは確かなのですが、私がここで「二つ」と言っているのはその違いではありません。


「修行の坐禅(座禅)」と、「楽ちんで誰にも出来る坐禅(座禅)」の違いとでも申し上げましょうか?


私個人としては、「修行の坐禅(座禅)」は社会的に地位があり、より上を望む責任を負うリーダーのための坐禅(座禅)だと思っています。


そして「楽ちんで誰にも出来る坐禅(座禅)」こそ、昔の私のようにおどおどびくびく生きてきて、他人が怖く、世の中が怖く、不安で不安で、とてもじゃないけれど幸せになんか生きられないっていう人にぴったりの坐禅(座禅)だと思うのです。


この二つの坐禅(座禅)ですが、坐り方そのものはまったく同じです


要するに私みたいな人間は、集中力も根気も忍耐力も乏しいので、集中し続けることが難しい。

その結果、どうしてもぼーっと別のことを考えてしまうので、坐禅(座禅)の呼吸にたどりついたとしても、その呼吸を長時間、たとえば一時間、二時間と続けることが難しい。


正しい呼吸にたどりつけさえすれば、その時点で自然に楽しく幸せな気持ちになって、不安もあせりも心配もどこかに消え去ってしまって、自分は世界一幸せな人間と思えるようになる!

これは保証します!


実は私は、そこで満足してしまったのです。


もしもこの坐禅(座禅)の呼吸を長時間続けることが出来るようになれば、和尚さんのように、社会のリーダーたちのように、きっと自分の欠点を克服して、自分自身を変えられるような凄い坐禅(座禅)が出来るのだと思います。


でも私は今の自分で満足なのです!
坐禅(座禅)のおかげで自分が大好きになれたのです!


だから、別に、辛い修行をして自分を変えようなんて思いません!


これを読んで下さっていらっしゃる方の中で、自分が大嫌いな人いらっしゃいますか?
そういう人には坐禅(座禅)が是非お勧めです!

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「和尚」について [気楽に読んでね(^-^)]

私が通う大本山活禅寺には和尚たちがたくさんいます。


皆さんは「和尚」と聞くと、お葬式の時に来てお経を読んでくれる頭を剃った衣を着た人を思い浮かべ、「和尚」は、職業だと思っていらっしゃるのではないでしょうか?


そう。ほとんどの場合、「和尚」はお寺に住み、檀家を持つ僧侶という職業の人のことです。


ところが活禅寺の「和尚」は違うのです。もともと活禅寺は、僧侶ではない普通の人が坐禅(座禅)の修行に来るお寺です。修行が進んで最終的に上り詰めた地位が「和尚」です。(和尚の中にも段階があります。)つまり、活禅寺の「和尚」は、職業ではなく、タイトルということになります。


「和尚」の位を得るためには、たとえば特別の修行を毎年繰り返して10年間やり通し、そのあとさらに修行を積んで・・・という具合に、時間も努力も必要なのです。


私ですか?私は昨日今日入門した人とまったくおんなじ下っ端で、ノンタイトルです。(^^;;
入門後30年たってもこれです。いかに怠け者か、よくおわかりでしょう。


もちろんこんな私が仏教を説くなんて、さらさら出来ません。
だから私は無理せず私の出来ることだけをしようと思っています。

こんな怠け者でも、坐禅(座禅)をするだけで幸せになったよ・・・というお話です。


本当は和尚さんがするような、それこそ心頭を滅却して、坐禅(座禅)そのものになりきるような厳しい修行を続けることが出来れば、自分を変えることも、その結果として他人を変えることも出来たかもしれません。

そういうことが出来る人は、きっと何をやっても成功する人です。
体力もあり、気力も充実していて、精神力も強い人!
そういう人がのめり込むように坐禅(座禅)をすれば、こういう凄い坐禅(座禅)が出来る!
「和尚」になれるのです。


でもこの際、そういう人のことは忘れましょう。(^^;;


問題は、怠け者の、集中力のない、エネルギーのない私に何が出来たのか?ということです。

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